終焉に喝采

思いついたときに書く、こいついたな…的ブログ

駆け抜けた青春を振り返る。

これを書いてる間に流しているBGMがエイトなのでもしかしたら「まだ付いていきたい。」とか心のどこかで思っているのかもしれないけど1つのケジメだと思って担降りまでの経緯について書いていきたいと思います。


まず、私が関ジャニ∞にハマったきっかけが音楽番組でみたズッコケのPVでした。

この大倉くんを見た当時中学2年生の私は
めちゃくちゃ可愛いな!?好きだな!?
となり同じ部活に入っていた友人に関ジャニ∞(というより大倉くん)の格好良さをこれでもかと語り、見事何人かを今で言う関ジャニ∞の「沼」に引きずり込むことに成功し、ジャニヲタの仲間が出来てからは学校ではなけなしのお小遣いで買ったアイドル誌を広げ合いワーキャー、休日は仲間を家へ招いて親に頼み込んで買ってもらった47都道府県全国ツアーのDVDを見てワーキャー。と、スーパー茶の間ライフを過ごしていました。

ジャニーズにハマる前まではもらったお小遣いはすぐ駄菓子に費やすというなかなかな浪費っぷりを発揮していた私もハマってからは「雑誌のため」「CD,DVDのため」と「貯金」をすることを覚えました。
月に一回発売される雑誌で知れる大倉くんの新しい髪形や近状など大倉くんについての知識が自分の中でどんどん増えていくのが嬉しかったし、数か月に一回発売されるシングルやアルバムで静止画でなく動いている大倉くんを見れるのも嬉しかったのです。
中学生の頃は親からコンサートに行くことを禁止されていた私が卒業して初めて行った関ジャニ∞のコンサートが2009年のPUZZLEでした。いつもテレビで見ていた大倉くんがこんなにも目まぐるしく動いていて大倉くんを追いかけるので精一杯だったのを今でも覚えています。

高校生になってからはアルバイトを始めて更に自分で稼いだお金を自分で「管理」することを覚えます。
高校では私なんかよりもっともっと前からジャニヲタ(増田担)をしていたクラスメートと友達になれたのでコンサートでのノウハウ(アリーナ席は場所によっては埋もれになる。とかファンサ曲の存在。とか)わたしが知らない知識を沢山教えてもらいました。
中でも、立ち位置を覚えておくと次入ったときにどこだ?って探さずにスムーズに追えるという知識は早い段階で得ることができてよかったです。今でも役に立っています。

高校2年目になるとジャニヲタの用語も理解できていて、キスマイ好きの友達にコンサートは場数踏んだ方がいいと言われキスマイのコンサートに行くことになります。わちゃわちゃっとしたエイトとは対照的に当時ギラギラしていたキスマイはとにかくかっこよく見えてハマってしまい、掛け持ち?みたいな状況になります。(ちなみに北山くんが好きでした。)
今ではドームでコンサートをしているキスマイですが当時は横アリでやっていて会場の小ささに驚きました。
ちけーよ!!!近すぎんよ!!
近ければ触れるチャンスもあるしキョロキョロしたりもしません。素晴らしい横浜アリーナ!!
でも夏にはエイトのツアーがあって会場が大きくても大倉くんに会える(見れる)喜びは相変わらず大きくて、なんだかんだいって大倉くんが一番~♪みたいな尻軽(コラ)みたいな生活を続けていました。

さて、高校3年生になった私は進学の道を選び、それとともにキスマイへの熱も引いていきます(キスマイファンの方気分を害したらすみません)その後デビューの知らせを聞いてめちゃくちゃ喜びましたが(笑)
それでもエイトだけは離れられずにいました。ヲタ卒しようと思えばできたのかもしれませんが変な意地がきっと邪魔していたのかもしれません。
受験(というか専門なので面接)も無事合格した私は卒業記念?みたいな感じでエイトの単独カウントダウンコンサートに大阪まで初遠征します。ヲタクの先輩である増田担と4泊5日の大阪生活をしたのですが双子参戦したり喧嘩したりお金が足りなくなったりハチャメチャではありましたがそんなこと忘れるくらいコンサートの大倉くんはかっこよかったしカウントダウンを一緒に迎えられたのが何よりも嬉しくて離れなくて正解だったんだなと強く思いました。

専門は1年通って結局辞めてしまったのですが専門でも安田担の友達が出来てコンサートに一緒に行くことになります。学校に通ってる間はとにかく課題、課題、課題の連続でついて行くのがやっとだったのでコンサートのお知らせが来たら申し込んで行く。みたいな感じだったと思います。たぶんこの辺りから本当の意地との闘い。
学校を辞めて時間に余裕が出来たのでバイトの時間も増やしてお金を貯めてお知らせが来たら安田担の友達を誘って行く。余裕があれば遠征もする。みたいな感じの生活をしていて親からは就職しなさいと言われ職探しをして就職します。

就職してからはバイトしていた頃よりも沢山稼げたのでなかなか手が出せなかった洋服などに手を出して、コンサートの申し込みがあるだろうなって時期になったら自重していつものように安田担の友達と余裕があれば遠征をして…を繰り返していて。だけど高校生の頃と違うのはコンサートグッズを選んで買うようになったこと。というより、団扇とペンライトとパンフレットしか買わなくなったこと。前は全部買うからこのくらい必要だと毎回計算していたのに今ではそんな思いも全くありません。
それに加えて演出を気にするようになりました。コントやMCの長さを気にするようになりました。自分は本当に楽しめているのか?疑問に思いながら帰るコンサートが増えたのです。
レーベルが変わったせいなのかわかりませんが見せ方が変わった気がしました。

ずっと小さなモヤモヤを抱えたまま毎日を過ごしていたある日、しばらく見てなかった少クラを見始めていてちょうどin大阪の回を観たときにビビビビ!!と電気が走るほど目を奪われました。
それが西畑大吾くんでした。中学生の頃に大倉くんを見つけたあの感覚に似ていました。名前検索をして画像をたくさん見て、プロフィールなど西畑大吾くんに関する情報を知れば知るほど深みにハマって、懐かしさと嬉しさが混じって今もですが毎日がすごく楽しいと思えました。


さて、ここからが担降りを決意するきっかけになるのですが(※私の個人的な気持ちが強く出ています。)
今回発売された元気が出るLIVEのDVDの内容もそうですがジャケットがわたしの降りるきっかけになります。

今回のツアーDVD、収録公演がオーラスで大倉くんは残念ながら不在です。ただこの1公演だけ不在なのにジャケットは大倉くんがまるで事務所を抜ける最後のコンサート、はたまたこのツアー自体に参加していなかったような仕様で私は理解できませんでした。今もできていません。
リサイタルの時からより強く疑問に思ったことなのですが、誰がファンの映像を見て喜ぶのか。なぜ好きな人がファンと近づいている所を見せつけられなければならないのか。その分の時間をメンバーにあてることはできないのか。不満が広がります。
今は大倉くんを見ると悲しい気持ちになってたまりません。そのくらい今回のDVDのジャケットは私にとってショックだったしトラウマになりつつあるのです。
曲をかけながらこの記事を書いていると最初に言いましたが曲は本当にかっこよくてかわいくてどれも当時行っていたコンサートのことを思い出します。良き思い出としてずっと残ります。今は見ると悲しくなるけど当時の思い出は楽しくてキラキラしたものとして記憶に残り続けています。だって私の青春だったから。


約九年間楽しい思い出だらけでした。大倉くん本当にありがとう。少し残念な降り方だったけどテレビからCMが流れれば振り返ったり声が聞こえれば反応したりもします。時間が経っていつか今回のジャケットも内容の演出も理解できる日が来たらまた報告したいと思います。